12 March 2016

回想。。。。。

あれから今日で5年が経った。あの日以降、心がすっかり変わってしまった。それまで、人はいつ死ぬか分からない、なんてことは言葉にするととっても陳腐な台詞だった。だけれどあの日以降はその言葉が意味すること、その重さは以前と違うものになった。今を懸命に生きる、おれはまだ生きていられる、ということを5年前のあの日以降ことあるごとに強く思うようになった。音楽が持つ力ということに関しても盲信してたと気づいた。音楽が鳴らない世界や響かない世界というものに初めて対峙した。(ここで言う世界っていうのはおれの心と身体を取り巻く世界、という意味なのでごくごくパーソナルな世界です。もちろんあの日も、あの日以降も音楽が鳴る世界に音楽を響かせて生きている逞しいミュージシャンだっていることでしょうけれど。。羨望も、ましてや軽蔑もないし、ただ、おれとは違うなってだけで。。。)

5年前はtobaccojuiceがまだ活動中で、ライブのスケジュールも決まっていたと記憶している。正直言ってライブどころではないな、と思ったりもしたし、実際楽しく演奏なんてとてもじゃないけど無理だった。自粛だのなんだの一連のあーだこーだも世の中的にはあったけれど、ライブをキャンセルはしたくなかった。ライブどころじゃないよって気持ちでも、ぼろぼろでも良いからお客さんの前に姿を晒すべきなんだろうな、となんとなく漠然と思っていた。ああ、あの人も辛いんだなって分かってもらえる方がいいんじゃなかろうかと。プロフェッショナルである前に一人の人間であるわけなのだし。そういう状態を晒すことに意味があるのではなかろうか、と。でも肝心の音楽には全く気持ちが入らなかった。そういう状態でライブのスケジュールをこなした。

おれはどんな時にも音楽に救われてきた。辛いこと、悲しいことを、音楽の力で励まされて慰められて背中を押してもらってきた。だけどこの時ばかりは、本当にしばらくダメだった。生まれて初めての経験だった。自分をポジティブな気持ちにさせてくれた、歴代の偉大な音楽たちも全く無力になってしまった。それでもおれは音楽にすがろうとして、自分にとって未知なる領域を探り始めた。クラシックもずいぶんこの頃聴いたし、アフリカの音楽とか。。。でもあんまり効果はなかったかな。。。とにもかくにも演奏していても気持ちが楽器を通過していかずに音が虚しく鳴っている感じがあった。そう、それでおれはドラムマシンになろう、と思ったのだった。音楽の奴隷になろうって思ってみたんだった。。多分、必死におれは自分と音楽の距離とか心のバランスをとろうとしてたんだと思う。今振り返ると結構参っちゃってたんだね。。

右手は一小節に8回、このシンバルを叩く、みたいな感じで演奏をするためだけの感情のない機械みたいになってみたり、メトロノームを使っていかに精緻に叩けるか、とか、そんなことばかりこの時期はやっていた気がする。。。それで結構身体だけでも動かしてなんとか心のバランスを保とうと努力した記憶があるな。。でもある種の均質さ、正確さというのは演奏が上手に見えるのかね?この頃急に上手くなった上手くなったと周りから言われて戸惑った記憶がある。。。気持ち、まったくこもってない演奏なんですけど、、、と思ってたな。「ためらいと、先走りが音楽の醍醐味」と言った先輩ミュージシャンがいたけれど、おれもそう思う。だからこの時期の演奏は感情の見えない、体温のないものだったんじゃないかな。上手いのかもしれないけれど良い音楽を演奏してはいなかったんだろうなって思う。

少しづつ少しづつ音楽に心を動かされるようになっていつの間にか今に至る。「音楽不感症」は治ったと思う。でも正直いうと以前に戻った、と言えるのかは分からない。。とにかくあの日以降すっかり心が変わってしまったので、分からないの。でも当時のブログに「もとのような平穏を取り戻したいとは思わない、これを通過して昇華した未来に興味があるから」などという、少しかっこつけた一文を見つけてしまって、少し照れる同時に、まあそうだなたぶん当たってると思うよ言いたいこと、って思った。

こんな風にあの頃のことを、あの日を境に起こったおれの気持ちの変化なんかを、回想して落ち着いてきちんと綴れるには、5年もかかったな。

みなさんは今日という日をどんな風にお過ごしになりましたか??本当に5年間で、いろんなことが変わっちゃったね。この5年おれはなにをしてきただろう?と考えると、無力もいいところだよ。。
今も困難な状況にある被災地の人々の暮らしが一刻も早く改善されますように。愛する家族や友人、恋人を失ってなお、強く生きる人々の未来にたくさんの幸せがありますように。5年前の今日、亡くなったたくさんの方々の魂がいまは安らぎのなかにありますように。

お祈りしてから眠ります。おやすみ☆